先達として、乱政の時代を切り拓く男。今こそ経験と実績を生かす時

政治評論家(羽田孜全人像 著者) 島野 恵次郎
プレス民主 号外(平成19年11月29日発行)より
 平成元年(1989年)の参議院選で、自民党は当時の社会党(現社民党)に惨敗した。当時まだ、自民党の中堅幹部だった羽田孜元首相(現民主党最高顧問)はこう述べている。
 「政治改革をやらなかったら、自民党は21世紀になるまで参院で過半数を回復することはできない」
 それどころか今年の参院選で民主党が躍進、自民党は参院第一党の座からも滑り落ち、もはや参院での過半数回復は政界再編でもない限り絶望的になったと言ってもいい。

 平成元年の参院選の自民党敗北はリクルート事件による政治腐敗に国民の怒りが爆発した結果だ。しかし、その後も政治の浄化は一向に進まず、国民の将来にも光が見えない。自民党主導による政治はもはや限界点に達したのである。

 「政治の鬼」と称された羽田元首相が自民党と袂を分かったのは平成5年6月18日。政治改革に及び腰だった宮沢喜一政権に絶縁状をたたきつけた。この日、自民党の幹部だった羽田氏が野党提出の宮沢内閣不信任案に賛成の意向を固めた。衆院本会議に向かう羽田氏はその決意を語った。

「残念ですが、宮沢内閣を信任できない。いばらの道だろうが、本物の政治のためにこれくらいでひるんではならない」

 以来、14年。羽田氏にとって「いばらの道」の連続だったが、ようやくそのゴールも見えてきた。羽田氏が目指した「二大政党による政権交代」が目前に迫ったのである。

 羽田氏も当然年輪を重ねてきた。
 大蔵・外務・農水の重要閣僚を経験し、総理大臣までつとめた政治家は、もはや羽田氏一人になってしまった。
 しかし、今も党の内外を問わず政局の節目節目には必ず羽田氏の名がある。

 今回の小沢代表の一連の辞任劇の時も、真っ先に深夜のイタリアンレストランで、羽田氏は小沢代表を説得している。

 羽田氏の存在は今も輝きを失っていない。むしろ最後の胸突き八丁に差し掛かった今ほど、政権交代が目前になった今ほど、羽田氏の経験と決断力が求められているときはない。若い政治家・政党にとって羽田氏の存在がどれほど貴重で頼りになるものか、民主党全体の共通認識である。再び「政治改革の鬼」の出番である。