至誠通天

東京事務所 秘書 北澤 英男
千曲会報 新年号(平成20年1月19日発行)より
 「野や町のますみのしずくあつまりて、大川となり千曲とながる」
 羽田孜の初陣に武嗣郎先生が作詞した千曲会の歌の一節です。
 郷里の皆様の献身的なお力をいただき、無我夢中で戦い抜いた昭和44年の総選挙。お蔭様で衆議院議員として早38年の歳月を重ねることが出来ました。


 この間、羽田は片時も感謝の気持ちを忘れたことはありません。政治改革を貫き、自民党離党という崖ぷちの決断を下した時も、「どこに行こうとも俺たちは羽田党だ。信念を貫け。」後援会の皆さんのこの一言にどれだけ勇気づけられたことか。寝食を忘れてまでも羽田を支えてくださる姿をいつも胸に刻み込み、「私が怠けることは同志を裏切ることだ」この思いで羽田は今日までただひたすら走り続けて来ました。


 最近テレビでもあまり視かけないが、羽田さんはどうしているの。そんな声をよく耳にします。羽田は党の最高顧問に就いた時にひとつの決断をしました。「わが党は若手の宝庫だ。彼らにどんどん経験の機会を与えよう。テレビ出演も幹部と若手に託して、俺は一切表に出ない。しかし日々責任を持って必ず育てる。」俺が俺がの政界で決して出しゃばろうとしない。これも羽田のなんとも慕われる一面でもあります。


 しかし温厚な羽田にも、もうひとつの厳しい一面があります。幹部の管代行、鳩山幹事長に対しても容赦しません。特に安全保障に対する過激な発言や信義を曲げたときなどは、大地が割れ裂けんばかりの形相で叱責します。私もその場に居合わせましたが、その気迫たるや私自身もたじろぐほどの迫力でした。羽田は曲がったことを許しません。いつまでも命がけで政治を動かし、真正面から国民と向かい合っているのです。


 羽田は民主党にあって、農水・大蔵・外務の主要閣僚、そして総理を経験した唯一の政治家です。38年におよぶ政治活動の中で羽田の最大の財産は、欧米・アジア・アフリカをはじめとする世界各国との幅広い友好・信頼関係です。
 昨年の参議院選挙での民主党の大勝を受け、政権交代そして民主党政権が現実のものになった今、世界各国の要人や議員は皆、知己である羽田を訪れて来ます。

 また、各国のメディアも、連日のように党の重鎮である羽田こそ政権交代のキーマンと見て取材攻勢をかけてきます。会見・取材と休む暇なく、正に「世界の羽田」「党の顔」としての重責を担っていますが、これこそ羽田だけにできる大きな役回りです。


 「羽田さん、体調は大丈夫ですか。だいぶお疲れでは。」多くの皆様からご心配を頂いておりますこと、大変心苦しく思っております。
 初当選から38年間、羽田はただわき目も振らず、「郷土のため・国のため」その一念で、政治の道を全力投球で突っ走ってきました。総理をつとめた後も、みずからの信念である政治改革・二大政党・政権交代のキーマンとして政界のど真ん中を駆け抜けてきました。70歳を超えた今でも早朝から深夜まで分刻みの日程をこなしています。


 正直、無理に無理を重ねてきた羽田の体は、満身創痍すでに極限に達しているかもしれません。多くの同志の皆様からご心配を頂き、私自身も羽田の体調を気遣い幾度か身体のことで羽田ととことん話し合いました。しかし羽田は、繰り返し繰り返し、かみ締めながら私に語りかけます。


 「日本はどうしてこんな国になっちまったんだ。俺には国民の悲鳴が聞こえるんだよ。政権交代、政権交代だよ。俺は投げ出さない。身体が何だ。たとえぶっ倒れようと、これだけはこの命にかえても俺の手で成し遂げる。」


 「右も左も分からなかった俺はふるさとのみなさんに育てていただいた。そして、今日まで一体となって政治に打ち込むことが出来た。本当に俺は幸せな男だよ。この戦いに打ち勝って志を果たすことが、俺のふるさとへの最後の恩返しだよ」


 政治改革を旗印に自民党離党から苦節15年。どんなに大きな山に阻まれようと、どんな荒波にさらされようと、羽田は逆風に耐え、苦難を乗り越え大きな志に向かって根気強く、辛抱強く歩を進めてきました。


 いよいよ政治決戦の年が動き始めました。来る総選挙こそ日本の歴史を変える一大決戦です。
衆議院本会議場にて
 政権交代こそ羽田の本懐です。そして羽田は気力と体力を振り絞り、己のすべてを賭けこの戦いに挑もうとしています。
 私自身も羽田の魂の鼓動にふれるとき、胸が裂ける思いです。


 郷里の同志の皆様、悲壮なまでの羽田の心情に、どうかあたたかいご理解をお願いいたします。
 そして政権交代の実現に向け、羽田とともに戦い抜いていただきたく心からお願い申し上げます。