My Opinion 私の見解

『政権交代』 新しい日本が生まれる

 「なが過ぎる政権」は、必ず澱み・腐敗します。
 企業をはじめ社会全体が政府・与党に迎合し、結果停滞と閉塞を生み、政治と行政はいつしか国民から完全に乖離してしまいます。
 中央集権のもと、官僚は決して権限・財源を手放しません。
 自民党長期政権は、いつしか国民を忘れ、政権維持のみに恋々としています。

 増え続ける国民負担は、さらに暮らしを直撃し、生活格差は今だどんどん広がっています。遅々として進まない宙に浮いた5000万件の年金問題。小泉政権で強行採決までして成立させた後期高齢者医療制度に、国民の不満と怒りが爆発。医療も介護ももはや崩壊寸前です。そして原油の高騰、バターやチーズなどの生活必需品の物価高等々。国民の悲鳴だけがただ虚しく聞こえてきます。

 政策や予算をすべて霞ヶ関に依存する官僚支配によるなが過ぎた自民党政権。政治は官僚の御輿と化し、政治はリーダーシップを失い、その使命すら果たすことが出来なくなってしまいました。政治家も政党も、選挙を通じ国民に対し大きな責任を負っています。しかし、官僚には、結果責任がありません。すべての責任は政治が負わなければなりません。

 官僚支配の最大の悪弊は、真正面から国民とそして生活と向き合わないことです。数字がすべてで、顔を見ない、暮らしを見ない、現場を見ない。家計を必死にやりくりする庶民の10円、20円の重みをもっともっと大切にすべきです。暮らしの尊さと向き合ってこそ、愛情と思いやりのある政治が実現できると信じます。

 迷走に迷走を繰り返し、将来へのビジョンもなく、なんら有効な対策すら打ち出すことの出来ない福田政権。小手先・その場しのぎ、いい加減なゴマカシで国民を欺く政府・与党にこれ以上政権を委ねることは出来ません。

 議会制民主主義は、政権交代があって正しく機能します。 政権交代でしか、今の日本をそして古いしくみを変えることは出来ません。 政権交代とは、しがらみ政治、官僚支配との決別でもあります。  私たちの目指す政権は、政治家のためでもなく、政党のためでもなく、官僚のためでもない、国民のための国民本位の政権です。 国民の想いを大切にする愛情と思いやりに満ちたあたたかい政府です。

 中央が地方をコントロールする補助金行政こそ中央の力の源泉です。
そのために、私たちは官僚支配の権化である中央集権を壊します。
官僚を頂点とした管理社会・規制社会が、国民生活を崖っぷちまで追い込んでしまいました。
 霞ヶ関の意向通りにすべてが決まる。このことが特色も活力もない国を地方を創ってきました。その弊害が、政官業の癒着や汚職の構造、財政破綻を招いたバラマキ体質です。そして今国民の怒りの矛先である行政の途方もない無駄使い、特殊法人と官僚の天下り、国民にはおよそ明らかにされない特別会計の闇の仕組みが生まれてしまいました。

 この巨悪な旧態依然の体制をぶち壊さないかぎり、国民本位の政治を取り戻すことはできません。そのためには、革命的な地方分権を実現しなければなりません。
 外交や安全保障、国家基本プロジェクト等々、国が責任を持つべき仕事を定め、その上で、中央に集中していた財源・権限を大胆に地方自治体に移譲します。
 スリムで限定された中央政府と、地域のことは地域の責任で決める住民本位の地方自治体が、つまり中央と地方が対等に並ぶ、新しい国のかたちが生まれます。

 例えば道路整備です。地域の道路予算を確保しようと、全国の市町村長さんは何度も霞ヶ関に出向きお役人に頭を下げます。私たちの納めた税金はけっして官僚のものではありません。
 地域にとって真に必要な道路はどれか。福祉や医療・子育て・産業支援はどうするのか。それぞれの地域の事情と将来の地域づくりに応じて、各自治体がその責任で自由に予算を組むことが出来るようにします。
 首長を中心に住民一人ひとりが参加して責任を持つ。自治体間のやる気に満ちた競争の中、今までにない活力と特色にあふれた地方自治が実現します。

 政権を変えることは容易なことではありません。しかし今変えなければ、日本は本当に沈没してしまいます。
 いつの時代でも、歴史を変えたのは地位も名もない民の熱い情熱と命懸けの行動でした。
 政治の仕組みを変え、真の地方分権を実現し、新しい日本を創る。
 政権交代は、歴史の使命と信じます。

平成20年 初秋    羽田 孜